ここまできた

ここまできたと言うべきか、ここからと言うべきか

ついこの間希望の会社に内々定を頂き、自身が目指す将来も定まってきた。

思えば、高専入学からはや4年。ずっと物を作り続けてきた。
なんなら学生の本分より、クリエイターとしての活動割合のほうが多かったのではないかと思っている。

入学1年目からプログラミングを始め、チーム開発を経験したり、デジタルアートを始めたり、魔改造作成した。
2年目は、ドローン飛ばしたり、チームでUnityを用いたゲーム開発をしたり、Live2Dで2Dアニメーションした。
3年目は、例年に引き続きゲームをチーム・個人で開発したり、3Dモデリング始めたり、サークルのCDジャケット描いたりした。
4年目は、vrアプリ開発をしたり、オリジナルボードゲームの挿し絵描いたり、vrmを用いたアクションゲームを制作していた。
5年目は、いったい何を創るんだろうか。


1年目の開発経験がそれ以降の個人・チーム開発の基礎にい活かされた。
入学1年目のデジタルアートのスキルがその後のゲーム開発や絵仕事に活かされた。
入学2年目のLive2Dのアニメーション制作経験がUnityのゲーム開発に活かされた。
入学3年目の3Dモデリングもまたゲーム開発に活かされたり、自身の現状の収入源になったりしている。
入学4年目のARやvrmでの開発が今の会社との縁を繋いでくれた。

僕は好きなことしかしてない。
なんなら好きなことしかしてこなかった。

でも今振り返ってみると全部繋がっている。
好きだから続けてこれて、その先に広がる新しい経験と好きを見つけることができた。

僕の、もの作りのルーツは幼少期に貰ったレゴブロックだったと思う。
始めて感情のおもむくままに形作っていくのが楽しいと知った。
それからは、親の協力のおかげで絵画教室やもの作り系のイベントなどに沢山つれていって貰った。
それなりに実績も貰い楽しいという記憶がある。
こういった経験のおかげで、もの作りは楽しいという感性を持ってもの作りの道を目指した。
ただ、純粋に何かを生み出すのが好きだった。

でも、入学3年目の個人ゲーム開発で、締め切り日の3連休を3徹して開発をおこない、提出後に椅子から立とうとして椅子ごと倒れてそこから数時間意識がとんでいた。
この時に「あ~、俺長生きできないなぁ」と思った。
(多分30とかで死ぬね、今のままだと)
その後すぐに考えたのは、「開発を辞めよう」ではなく「後どれくらい残っているかわからない時間で、あとどれくらいのものを作り出せるだろうか」という考えだった。
これによって時間的な制約を意識しだして、ただ純粋にもの作りを楽しむということにより勢いがついた。

考え方も、少し過激な判断をするようになったと思う。
(よく性格診断でクールとか一匹狼とかの判定を頂くことが多くなった)

僕はこれからも、もの作りをして新しい経験と好きを見つけていく。
そのなかで、多分死にかけることはやっぱりあると思う。
けど、僕は将来死ぬまで手を動かして、何かを作り出していると思う。

つくづくクリエイターってめんどくさい性質を持った生き物だなぁと文書を見たら思う。
でも、そこが良いからどうしようもない。


好きなこと・興味のあることはとことん自分がやってみたいところまでやってみて欲しい。
そうすれば新しい好きも見つかるし、それはきっと貴方の人生をより豊かにしてくれると思う。

大丈夫、少なくとも1例ここにやりたいことをやってそれを活かしてさらに新しいやりたいことを見つけることができた人がいるから。
頑張って、応援してるよ。

後書き
ここまで独白自己語りおじさんみたいな拙い文書を読んでくださってありがとうございます。

これは、まぁ後日談みたいなものなんですけど
今はICT委員会に所属させていただきながら講座とか趣味プロとかしてるんですけど
高専入学時に、初めは学校案内パンフレットに書かれていたジャグリング同好会に入部しようとしてたんですよ。
僕が入学したときに最後の同好会員が卒業してたので、同好会はなくなってましたが。

もし、同好会がなくなっていなければ僕はプログラミングをすることなく道端で大道芸をしていたりする未来もあったかもしれません。
巡り合わせって本当に面白いですね。